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3rd
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Apr
8th
Fri
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妥協して落しどころを探ると・・・骨抜き、玉虫色
強引に押し通すと・・・・・・・・独裁
部下に大きな権限を与えて任せると・・・丸投げ、無責任
官邸主導で進めると・・・・・・・・・・独裁

決断下すと・・・なぜ今なのか、慎重に議論すべき、他に大事なことがある
保留すると・・・また先送りか
支持率上がると・・・ポピュリズム、人気取り
支持率下がると・・・もっと国民の声に耳を傾けよ

靖国行くと・・・右派、軍歌の足音、いつか来た道
行かないと・・・公約破った
閣僚人事の予想があたると・・・新鮮味がない、地味
はずれると・・・・・・・・・・また小泉流サプライズの手法、実務派を使え

拉致問題取り組む前・・・北と仲良く、友好壊すな
取り組み後・・・・・・・なんでもっと早くやらなかったの、まだまだ足りない全員戻せ
北朝鮮に強い態度取ると・・・暴発するぞ
協調すると・・・・・・・・・弱腰

規制緩和すると・・・競争激しい、
しないと・・・・・・既得権益にメス入れろ
株価下がると・・・景気悪くなった、なんとかしろ
株価上がると・・・格差広がった、なんとかしろ

中韓と首脳会談が途絶えていると・・・・アジアから孤立している
中韓と首脳会談を行うと・・・・・・・・・・・・首相の点数稼ぎだ
語気を強めると・・・・感情的、逆ギレ
淡々と話すと・・・・・・歯切れが悪い
Mar
27th
Sun
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yellowblog:

Blooming tree . Explore . (by Franc Le Blanc)

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Blooming tree . Explore . (by Franc Le Blanc)

(via ujitomo)

Mar
24th
Thu
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Mar
23rd
Wed
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編集部からの寄稿依頼の趣旨説明は次のようなものであった。
「ダウンサイズを余儀なくされた生活空間と、いつリストラされるか分からないという職場での焦燥、このままでは老後は暮らせないのではないかという将来の不安に苛まれながら、それでも、自分が少しでも心地いい居場所はどこなのか探している」若いサラリーマン男性たちが「そんな時代の中で『やりがい』とか『生きがい』を感じるためには、どうすればいいのでしょうか?」
まことに切実な質問である。
だが、このような問いに対して、私はあまりフレンドリーな回答を処方することができない。
ここまで追い詰められていながら、なお「私はどうしたらいいんでしょう?」と、事態の解決の道筋について、「他人に意見を求める」という態度そのもののうちに、「ここまで追い詰められた」ことの主因があるように私には思われからのである。
その理路について申し上げる。
「私はどうしたらいいんでしょう?」という問いのうちには、実は「問う」という以外にもうひとつ深層の含意がある。それは「クレーム」である。
「いったいどうなってんだよ?」とか「だから、どうすりゃいいんですか、いったいわれわれは?」という言葉づかいは外形的には「問い」のかたちをとっているが、もちろんこれは「問い」ではない。
「誰かが責任を取れ」と言っているのである。「誰かがなんとかしろよ」と要求しているのである。
このような要求は「責任者がいる」状況においてはたしかに適切である。ファーストフードで頼んだ「てり焼きバーガー」が15分待っても出てこないときには「どうなってんだよ」と声を荒立てるのは「あり」である。その場合には店長が「あ、すみません」と飛んでくる蓋然性が高い。
しかし、例えばアマゾン川下りクルーズの最中にボートが転覆して、アナコンダとアリゲーターが指呼の間に望見されるというような場合には「責任者出てこい」というようなことを言うのは時間のむだである。その暇があれば、必死で岸めざして泳いだ方がいいし、それよりもまず船に乗る前に、ボートの強度やガイドの人間的信頼性について吟味すべきだったと思う。
そういうことである。
「私はどうしたらいいんでしょう?」という問いはすでに自分が置かれている状況についての予断を含んでいる。そういう問いが出来る人は「申し訳ありません。あとは私がなんとかします」という「店長」が存在するということを前提にしている。
だが、世の中には「店長がいない」局面というものが存在する。
私たちが陥った苦境について、誰も責任を取ってくれない、誰も状況説明をしてくれない、誰もどうすればいいかを教えてくれないという局面が存在する。
そのような危機的状況のことを国際関係論では「デインジャー」と呼ぶ。それに対して、「責任者がいる」危機的状況のことは「リスク」と呼ぶ。リスクは「マネージ」したり「コントロール」したり「ヘッジ」したりできる。「デインジャー」にはそういう手が使えない。
喩えて言えば、サッカーの試合中に「試合に負けそう」というのは「リスク」である。試合の帰趨は選手交代やフォーメーションの変更や監督の罵声などでコントロールできるからである。それに対して、サッカー場がテロリストに襲われるというのは「デインジャー」である。テロリスト相手には「こういう場合にはどうすればいいか」についての一般解が存在しないからである。デインジャーからは、自力で、自己責任で、自分の才覚で脱するしかない。
「私はどうしたらいいんですか?」という問いを口にできるということは、「私が直面している状況はリスクであって、デインジャーではない」という状況判断を下したということである。それは言い換えれば「誰かが答えを知っている」「答えを知っている人間はそれを開示すべきだ」「オレにも教えろ」という一連の推論をなしたということである。
その危機感のなさが私たちの時代の若い方々の危機の本質的原因だと私は申し上げているのである。
率直に言うが、日本社会はすでに「前代未聞・空前絶後」の社会状況に入っている。人口の不可逆的な減少、それによる経済活動そのものの縮小ということを経験したことのあるものは先進国には存在しない。ということは「こういうときはどうすればいいか、私は知っている」と言うやつがいたら(経済学者でも国際政治学者でも)そいつは「嘘つき」だということである。
日本社会はいま急速に流動性を失って階層化が進行している。上層の一部に権力も財貨も情報も文化資本も集中する一方で、巨大な「下層」が形成されつつある。その階層差を形成しているのは端的には危機感の差である。「いま、私たちはどうふるまっていいかわからない状況に入りつつあり、正解は誰も知らないし、誰も教えてくれない」ということを切実に受け止め、それゆえ自分の判断力と感覚を信じて生きる人間たちは生き残り、「どうすればいいんでしょう?」とぼんやり口を開けて、「正解」を教えてくれる人の到来を待ち望んでいる「受け身」の人たちは下層に吹き寄せられる。残酷なようだが、そういうことである。
健闘を祈る。
Mar
1st
Tue
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本日のセミナーで聞いた話。Googleでは、日本人が英語で話すと生産性もCreativityも10分の1くらいに下がるので、日本語でどんどんやりなさいと言われているらしい。必要なら通訳入れりゃよいと。そりゃそーだよな。
Feb
10th
Thu
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男性へ

結婚するなら、「私がこのヒトを幸せにするんだ」と言う意識を持った女性を選べ。付き合う女と結婚する女は違う。

女性へ

おもしろくなくても、顔が良くなくてもいいから、仕事が好きでまじめな男を選んで結婚しろ。優しい男はやめておけ。優しい男は、あなただけではなく、誰にでも優しいんだ。

結婚と幸せ - おいおい、何とかします。 (via sskr31) (via gatya) (via hidetox) (via konishiroku) (via jinon)
2008-08-24 (via gkojay) (via jinon) 2009-07-05 (via gkojay) (via pcatan) (via ukar) (via motomocomo) (via kogure)
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1 物事の変化に対応するときには「変わったこと」ではなく「変わらないこと」に目を向けて考える。変化が起こったときに「変わらないこと」こそが本質

2 世の中と折り合いをつけて生きていくためには「自分自身」を強く持つことが必要。自分自身を知り、考え方を確立させていればどんな変化や情報 の洪水の中でも臆することなく生きていける。自分は何者で、何を考え、何をしたいのかを明確にできればおのずと考え方や行動に反映することができる。
Dec
8th
Wed
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菅政権では、仕事の結果ではなく、「マジメ」をアピールする閣僚が目立つ。それも、仕事の過程ですらなく、単に本人の「忙しさ」とか「大変さ」といった点を強調する。菅首相は「朝5時起きでやった」とアピールした。先日は、仙谷氏も「朝の7時から夜の11時までしっかりやっている」 と努力をアピールしている。

  そこでふと思い出したのが、リストラ候補となった中高年サラリーマンのエピソードだ。「このままではリストラだ。結果を出せ」と言われた彼は、何を思った のか、次の日から朝一番で出社するようになり、デスクの掃除や花の水やりなどをするようになった。ただし、仕事の能率が上がったり、仕事上で何か新しいこ とにチャレンジするようになったわけではない。

「結果を出せ」と言われたのに、なぜか仕事とは直接関係ない「マジメ」をアピールする―― これは意外に、現代ニッポンで「美徳」として蔓延しているように思われる。仕事で結果を出すよりも、組織への忠誠心を「マジメ」という形で強調することで 評価してもらおうという魂胆がそこにはある。加えて、「自分はマジメに生きているのだから、非難される覚えはない」というように、仕事上の評価問題を道徳 的な評価問題にすり替えていく。マジメが美徳なのは誰も否定しないが、「マジメ」を自己弁護に使うのは間違っている。

 代表的なのが公務 員の自意識だ。利用者からしてみれば、公務員の仕事には不満があり、だからこそ公務員人件費の削減(減給、民営化)ということが言われる。しかし、当の公 務員にしてみれば、「毎朝ちゃんと出勤して、言われた通りのことをちゃんとして、マジメにやっているのに、どうして非難されなければならないのか」と納得 できない。そこには評価基準の決定的なズレが存在する。

 政権交代の原動力になったのは、このような「マジメ型」日本人の群れである。彼 らにとって、仕事とは「毎朝ちゃんと出勤する」とか「言われた通りのことをちゃんとする」という以上のことではないから、「不況でリストラ」とか「年功賃 金・定期昇給の崩壊」とか「既得権・ベネフィットの消失」ということが理解できない。「マジメにやっているのにリストラされた」「マジメにやっているのに 給料が上がらない」「マジメにやっているのにベネフィットが消えた」と、不満タラタラである。

 一方、業績を伸ばしたり、給料が上がった りしている他人を見ると、「マジメ型」日本人としてはどうにも許せなくなる。「自分はマジメにやっているのに報われない。しかし、あいつらは報われてい る。きっと、ズルイことをやっているに違いない。こんな世の中は間違っている」と考える。世の成功者は、凡人以上にそれこそマジメに忙しく働いている人が ほとんどだが、「マジメ型」日本人は自分の「マジメ」しか見えないので、嫉妬心だけがたまっていく。

 それをうまく煽ったのが民主党だっ た。まだまだ規制が多くて社民主義的な要素が色濃い日本型市場経済を「新自由主義」と批判し、「マジメにさえしていれば報われますよ」とバラマキ・既得権 護持政策を謳った。そうして、怒れる「マジメ型」日本人が投票所に向かい、政権交代は果たされたのである。
Nov
20th
Sat
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「ジェームス、この書類の確認をお願いします」。楽天銀行(東京都品川区)の人事総務部で声をかけられ振り向いたのは、部長の増田忠司さん(51)。